ケオティックな横断風景
今回は高槻市中心部のアーケード商店街「高槻センター街」の東口付近から阪急京都線の高架下にかけての交差点をとりあげます。
左:センター街東口よりみずき通りを望む
右:阪急高架下よりみずき通りを挟んでセンター街を望む
下はある横断時の様子。皆おもいおもいに道路を横切っています。とりわけ自転車利用者の縦横無尽な動きが目につきます。一見スクランブル交差点のようにさえ見えるChaoticな光景ですが、ここはスクランブルでも歩車分離でもない通常の信号交差点です。
大阪と京都の中間辺にあって独立性の高い高槻は、市域を横切るJR京都線、阪急京都線のどちらの駅も急行が停まる利便性の良さや、二つの駅の遠すぎず近すぎずの距離も相乗効果をもたらしているのか、大阪の郊外都市としては目立って大きく繁華な商業地区を成しています。
図1. 高槻市の中心部
※この交差点には名前が付いていないようなので、当記事ではさしあたって「センター街東口」と呼ぶことにさせていただきます(もし正式な名称がありましたら教えていただけると幸いです)。「センター街東口」は、賑わう商業エリアとその南に控える後背地をつなぐ要のような場所に位置しています。阪急線は高架化されているものの、地上の大部分は店舗や駐輪場などとなっていて行き来ができません。なので商業エリアの一角にあって、高架を潜って国道171号やさらにその南へ続いている城北通とつながるこの付近にはたくさんの歩行者、自転車利用者(以下「自転者」)やクルマが集まってきます。では交差点の通行の様子をさらによく見てゆきます。
信号無視
車道右側への横断
車道右側からの横断
バラバラの待機位置
停止線はみ出し
並列待機、並走
高槻センター街東口付近の形状
図2.「センター街東口」交差点付近
上の図を見ると「センター街東口」の交差点の変則的な形状が伺えます。シンプルに直進しているみずき通りに対し、これに交差する城北通、北園高槻線がくい違った位置で接していて、さらに北西の角から斜めにアーケード街(高槻センター街)が続きます。横断歩道や信号機の設置状況からはいちおう4つの枝からなる十字路とされているように伺えます。
高槻センター街は車両侵入不可で、また北の枝(北園高槻線)はいわゆる細街路でかつ一方通行(交差点侵入方向のみ)なので、ドライバーにとっては丁字路に近い認識かもしれません。対して、歩行者や自転者にとっては待機する位置や渡る向きによって通行条件が大きく異なる複雑な交差点です。
歩行者や自転車にとっての動線は、みずき通り側(下の図:青)がシンプルな直線であるのに対して、城北通・センター街(下の図:茶)方向では動線が大きく屈曲します。乱横断が多発するのにはこうした形状が関係しているだろうということはこの形状からでも何となく推測されます。
※「乱横断」とは横断歩道などの通行経路でない所を歩行者らが横断する行為で、管理者(行政等)の意図した通行経路が、利用者の望む経路(多くの場合、A⇔Bの最短コース)と乖離していることを示します。
図3.「センター街東口」交差点の動線軸と隅角部拡大
また、交差点の四隅を較べると、狭小な北東・西南角(①②)に対し、その対角線上の北西・南東角が広いという著しく偏ったスペース配分になっています。
図4. 狭い歩道の様子
一般に、自転車利用の大多数が歩道通行という現状では、信号手前左の歩道が狭いと歩道に自転車が集中して歩行者との錯綜を増やします。ですがこの交差点の城北通部分については、歩道を通る自転者はだんぜん少数派です。
全体としては広いものの、横断歩道手前角からとりわけ狭くなる歩道が、交差点の食い違い形状と相まって、自転者を車道に誘導する効果を生んでいます。待機位置が横断歩道手前に比べて大きく後退するにも拘らず(車道走行が広まらない一つの要因)、大多数の自転者が車道上で待機し交差点の内側を大きくショートカットする経路をとっています。
信号待ちする自転者の列2
横断歩道前の歩道 歩行者との錯綜が厳しい
上の写真の光景は時間帯、利用者層を問わず常に見られます。歩道の付いた区間はごくごく短いのですけれども、これだけの数の自転車が普通に車道を走行し、かつ列をなして信号を待つ光景は自転者の車道走行原則が叫ばれるようになって久しい現在でも、なかなか目にしないものです。車道走行は無理に誘導をしなくても、条件が揃えば自ずと発生する例ではないでしょうか。図5. みずき通りのショートカット横断経路
(点線は歩道を辿った場合の経路)
城北通の逆走
「センター街東口」付近を見ていて最も目につくのは、交差点の中心付近を突っ切ってみずき通りを横断する自転者・歩行者です。老若も男女も問わず、皆悪びれる様子もなく交差点の真ん中へ進んでゆく様はこの交差点の最も印象的な光景です。
ただ、一見するととても無謀勝手に見えるこの動きを基本的には問題はないと筆者は見ます。車道走行の原則に照らせば、自転者がみずき通りを横断する動線は必然的にこのような形になるからです。
原則として「道路の左端へ寄って走る」とされ、右折においても二段階右折を求められる自転車が、交差点の中心部を進むのが異様に映るのは致し方のないことです。しかしこの交差点の場合、軸線の大きく食い違っている形状が印象に影響を及ぼします。さらに自転者の車道走行を想定しない路面標示が、いかにも自転車が違法な領域を走行しているかのような印象を与えてしまっています。
とはいえ、みずき通りを渡る様子に「基本的に問題はない」と言いましたがやはり雑に過ぎますね。冒頭で書いたとおりみずき通りの横断状況は実質的にスクランブル交差点のようなカオス状態で、もちろん問題はあります。
そのなかで一番問題視したいのは、交差点の上の図の赤矢印のようなみずき通りを横断し先を逆走で進む形での横断です。数量的把握はしていないですが、みずき通りを挟む横断のかなりの割合がこの形でなされています。
横断した先では、とうぜん城北通から交差点へ入る流れとの交錯が生じます。車との交錯が危険なのは言うまでもないですが、中でも向きあう自転者と左折する車との錯綜が重なった場合など非常に危険な状況となります。しかしながらこうした状況が、ごく日常的に発生しています。
車道の右側へ横断し逆走する自転者
逆走侵入する自転者との錯綜
逆走侵入する自転車と車、車の右わきに避ける自転者
こうした経路をとる自転者の動機としてはごく単純に、このコースが最も移動距離が短いというのがあります。無駄なく最短コースを辿りたい、というのはひとの最も基本的本源的(でありながら管理者に看過されがち)な動機。「ルール」の下にそうした行為を非難一蹴してしまうのを筆者は疑問に感じるのですが、安心・安全を損ない、いずれは重大な事故の発生につながりかねない行為であることに違いありません。
図6. 逆走への横断経路
上の図にて、逆走横断経路(赤矢印)に、みずき通りを最短で渡る経路①、赤矢印と同じ位置から進んで城北通を順走する経路②を示しました。
是非は別として逆走に進む赤矢印が最も経路が短いのが分かります。経路①は交差点へアプローチしたときの信号が赤だった場合、横断距離の最も短くなる地点まで進む経路。ただし、経路の屈曲している箇所で一旦待機となりますが、みずき通りは車線幅に余裕がないうえに車が多いのでその点でとても危険です。既に触れたようこの付近は歩道部も狭く(図3,4)、人の往来も多いのでこの経路を取る例は少数に留まります。②はまず順当な経路ですが城北通からみずき通りへの右折車と生ずる錯綜と向かってくる車への恐怖感が一部の利用者にとって難点なのではないかと思われます。
みずき通りを渡って城北通へ進む自転者
赤矢印の経路が取られるのはそうした上記経路①、②のデメリットによる消極的選択の面の他にもう一つ理由があると考えます。城北通を少し進んだ先の別の街路との関係です。
図7. 走路と「その先の合流部」
みずき通りを渡って城北通に入るとすぐのところに東から合流する道があります(上図赤円)。幹線ではないものの高槻市駅南のバス停やタクシー乗り場がすぐ先にあることもあって一定の交通量があります。この交差部に信号はないので、ここでは車が随時出入りすることになります。
これは自分の筆力を棚に上げての言い訳でもあるのですが、特定の空間のミクロな動きを取り上げることは常に、土地勘・現場感という伝えにくい要素との格闘になります。この段は特に土地勘がつかめないと分かり辛い部分かと思います。たいへん恐縮ですが、この付近の道路形状の微妙な変化と連なりが自転者の動きに関与しているというのが筆者の見解です。ご理解を請う次第です。
城北通を南へ進む自転者にとってはこのこの向かって左(東)の道を出入りする車との対応に迫られます。その点で車の動きに煩わされることのない城北通の逆走は、彼らにとって大きなメリットだろうと筆者は推察します。
みずき通りを渡った自転者の向かって右手の歩道はすぐに途切れて路側帯に代わっています。路側帯は法規上の規定は措いて一般の自転者にとっては通行空間であるとすれば、走路の向かって右手に空間が加わることは、自転者には通行空間の左側を通っているのに近い感覚かもしれません。路側帯部にはごくたまに配送関係の車両が停まることもありますが、基本的には車が入ってくることのない領域です。というわけで城北通へ合流する車との間には見えない区画線があるかのように自転者と歩行者の空間が生じています。そしてそのまま南へ進んで東からの道路との合流部を過ぎると、城北通はやや幅を狭めて一方通行となります。そのとき自転車は城北通の向かって左側のポジションに移っています。
図8. 「その先の合流部」1
図9. 「その先の合流部」2
簡単に言うと、自転者は車の入ってこない領域を縫って車通りの穏やかな城北通(の一方通行区間)へ抜けているということです。そのために交差点付近の逆走という危険行為をするのは矛盾するようですが、ここを通る自転者は「センター街東口」交差点では信号があるために車の行動は抑制されていることを感覚的・経験的に知っているのではないでしょうか。同じ車との近接走行でも、自転者にとっては車が停車もしくは停止前の極低速状態にある信号付近よりも、無信号で随時出入りする車がより脅威なのではないでしょうか。
なお交差点部ではルール無視の動き(逆走)をした自転者が、城北通の一方通行部分ではキープレフトの遵守度の高い様子が見られます。筆者の贔屓目かもしれませんが。
城北通からの信号無視
多発しているというかほぼ常態化している信号無視について。先に見てきた乱横断、逆走側への横断とともに、これもみずき通りを渡る場面においてとくに目立ちます。
信号無視(再掲)
上の写真は信号が既に青から赤に変わった状態で交差点へ進む自転者です。このような光景が信号のサイクルが巡る毎に繰り返されています。自転者の身勝手な行動としてとくにドライバーに悪印象を抱かせるのがこの信号無視でしょう。
図10. 「センター街東口」交差点の信号現示
「センター街東口」交差点の信号現示をまとめたのが上の図です(素人計測にて多少なり誤差の可能性がありますがご容赦願います)。
配分で最も長いのはみずき通りを渡る歩行者用(P2)で、32秒が割り当てられ、北の枝(北園高槻線)からみずき通りへ出る車両用(V3)が最短で13秒の割り当てとなっています。歩行者用、車両用とも同時に青となりますが北園高槻線(V3)のみは歩行者用信号が青になって約24秒経って青となる設定になっています。歩行者用信号ではみずき通りの直進側にも22秒とよく時間が割かれているのにこの付近の人の多さがよく反映されていると思います。
※みずき通りから城北通への右折用に矢印信号が設けられていますが、簡略化のため割愛しました。
城北通からの動きを見ます。18秒で終了する青信号(V2)のあと、みずき通りを渡る横断歩道(P2)はなおも10秒以上青信号が続きます。車両用信号が赤へ変わると車は停止しますが、脇に並ぶ自転車は発進をやめません。のみならず逆走方向の自転者がみずき通りを渡って向かって来ます。歩行者の横断(歩行者用信号は車両用と同時に青になる)のため、実際に車が右左折に動ける時間は限られているうえにこのような身勝手な動きをする自転者はドライバーたちをさぞ苛立たせるでしょう。
横断には車道のショートカットを使い、信号は表示時間の長い歩行者用に依拠するという都合のいいとこどりをする自転者はドライバーならずとも実に身勝手で狡い存在に映るでしょう。
既に見てきたように、城北通を北ヘ進む自転者はその大半が車道を通ります。ルール上、車道走行においては自転車も車両用信号に従うべしとされていますが、彼らにそのルールは知られていないのでしょうか。知っていて狡く無視しているのでしょうか。
以前とりあげた富田丘町の交差点では、車道を進んで停止した自転者が信号が青なのにもかかわらずそれを見送り、歩行者用信号が青になるのを待って発進するという例がしばしば観察されました(【高槻の自転車走行空間を訪ねて】富田丘町の交差点)。つまり自転者が判断のもとにしていたのは交差点内の車の有無だったように、城北通からみずき通りを渡る自転者にとっても「自分が車道にいるか否か、依拠すべき信号はどれか」ではなく、進もうとしている空間に車が存在するか否かがその行動に影響を及ぼしているのではないかと考えられます。
信号号が赤になって車がいなくなる。歩行者用信号は青のまま。
これはあまり強調されていないことですが、パワーにおいて歩行者と自転車、クルマの間には圧倒的な違いがあります。それぞれの運動エネルギーを端的に比較する図を作ってみました(図11)。自覚するにせよしないにせよ、車を意識した自転者の動きは車の脅威を直観的に感じてのもので、それには高い合理性があります。
図11. 運動エネルギー比較(自転車=1)
では、城北通からみずき通りを渡る自転者が信号無視をする理由はいちおう説明がつくとして、車両用信号が青の時点でみずき通りを渡っているのはどう説明されるのでしょうか。車を避けたいのなら、車両用信号が赤になり、同じくみずき通りを渡る歩行者用信号が青の時間までなぜ待たないのか(富田丘町の交差点での観察とその点で違うのではないか)。自転者は単に都合よく車両用の青信号も歩行者用の青信号も都合よく横断可能のサインとしているだけなのでしょうか。
「センター街東口」は Shared Spaceなのか
冒頭で「一見スクランブル交差点のよう」と書いたようにセンター街東口の交差点は実に多様な動線が交錯しています。その動きの全てに理由を考えることは筆者にはとても及びませんが、あともうひとつ触れておきたい点があります。
それは自転車で観察される横断歩道のない交差点の中を通る行為が歩行者でも同様に観察されることです。しかも皆とてもリラックスした様子で「隙をついてそそくさ」と通り過ぎるというような忙しなさは感じられません。自転車も歩行者も車も三つ巴で交錯しているというのもこの交差点のとても印象的な特徴です。
この交差点の光景をもたらしていると考える要因をいくつか書き出してみました(図12)。
図12. 「センター街東口」”自由な往来”の誘発要因
こうして要因を書き出していて思い当るのは シェアードスペース(Shared Space)という歩車共存空間です。シェアードスペースとは信号や標識を敢えて設けないことで自動車の運転手や歩行者、自転車の注意を促して、各者の任意な通行と安全な交通の両立を図る手法です。或るオランダの交通技術者により発案されました。
「センター街東口」の交差点には信号がありますからもちろんシェアードスペースではありません。ただ、結果的にそのような光景が現出しているように感じられます。
上の表で列記したように、大型車両の少なさ(バスは多いですが乗用車が主体、トラックも2t以下が主)や多車線路の交差する大交差点ではないこと、コンパクトなために右左折時の車の動きが低速なこと、それと何より人と自転車が多く、それに対してみずき通りと交差する道路の交通量が少ない(そもそも車列ができないこともしばしばある)ために人・自転車が車と拮抗(むしろ凌駕しているかもしれない)するほどにボリュームが大きいことが挙げられます。
これらはシェアードスペース導入に求められる条件と重なります。「センター街東口」交差点はいわば信号の残っているシェアードスペース(ただし、みずき通りを渡る場面のみ)とでもいう状況でしょうか。なので、みずき通りの横断については信号の状況如何に関わらず自転者や歩行者はみずき通りを大胆に突っ切って渡っているのだろうと考えます。
幹線道路(みずき通り)とその交差道路(城北通、北園高槻線)とで、人・自転車・車の力関係がダイナミックに入り混じっているのがこの交差点の大きな特徴かなと思いました。この辺りでひとまず「センター街東口」についての観察考察を措くこととします。
今後に向けて
こまちの例会でレビューというかおおよその説明をするのですが、すると決まって「では改善案は?」と聞かれる流れになります。筆者の関心は現状の把握分析にあるので対策には正直あまり興味がわきません(問題の理解と共有こそが前進)。とりわけ交差点の形状そのものに起因している「センター街東口」交差点では、これに部分的な改修をしても効果は期待しづらいと考えています。
それでも何かを、と促されて出した案の一つは、高架下の道路スペースの再配分案でした。高架下の飲食店が設けている立入禁止ゾーンを解放して歩道を移動し自転車用の走路を設けるものです。筆者としては城北通の西側に双方向の走路を設けたいところですが十分な幅員確保も厳しいうえにそもそも逆走になる経路の案など管理者には相手にもされないでしょう。といってくい違いの激しいこの交差点で現状のショートカット経路から離れた走路を設けたところで実効性は期待できず。万が一提案が受け入れられたとしても、現に営業をしている店や権利者の了解を得て歩道の利用変更をし、小規模とはいえ事業費を確保するには相当のパワーが要ります。現時点ではハードルの高すぎる案で文字での説明に留めさせていただきます。なお飲食店自体を立ち退かせられればより根本的な解決が望めますが、現実味はさらに遠退きます。
なおレビューの際には、センター街東口交差点をスクランブル交差点(少なくとも歩車分離型)にしてはという意見も出ました。無秩序に行き交う動きを歩行者用信号の青の時に限って認めようというもので、もしそれで解決するなら物理的改変は不要なので安上がりでもあります。
これには2つの相反する反応を想定します。一つは先のシェアードスペースについて検討したように、みずき通りの横断について自転者(および歩行者)と車の力関係で差が少ない状況では、自転者は車両用信号の青でも交差点へ流れ出す可能性があること。もう一つは逆に、富田丘町の交差点で観察されたように車道を進んできた城北通の自転者が、車両用信号は青であってもこれを避けて歩行者用信号が青になるまで待機する、ということが生じるかもしれないこと。
後者が優勢であれば車両用信号で車(と二輪・原付)が自転車や歩行者に煩わされずに交差点を通行することができるようになりますが、これは社会実験でもしてみないと分かりません(筆者は前者が優勢と想定)。ただ、そもそも車道を進んできた自転車の動きを歩行者用信号の青表示時にまとめようというのもおかしなことですし、高槻市も既存の歩車分離交差点では自転車は車両用信号に従うよう指導をしています。あと、どちらが優勢となるにせよ城北通の逆走(西)側への横断については未対策のまま。総じていろいろ不備の残る案かと思います。
センター街東口は阪急京都線の高架化でできた交差点。元は高槻の城下町と芥川(西国街道の宿場)をつないだ道(城北通)がメインだったようです。北へ上がってきた城北通が北西へ向きを変えるあたりに私鉄(当初は「新京阪」)が通って踏切の北西側が今の高槻センター街へ発展、昭和の末頃からの高架化事業で線路は高架となり線路跡がみずき通りとなりました。
線路跡を道路にすると城北通とクロスするところに変則形状の交差点ができることは当然わかっていたはずですが、それが車と歩行者・自転者との関係でどのようなことになるかはあまり検討されなかったと推察します。当時は高架化で新しい道路ができて駅前に車やバスを通せるようになることや、国道171号の混雑緩和への期待でいっぱいだったでしょう。
近年、車の数的な増加は既に頭を打っています。本稿では改善策の詳述は控えましたが、長いあいだ増加の一途をたどる自動車の対処に追われてきた道づくりはもっと人や自転車の安全・快適を踏まえたものに変えてゆくことが望まれます。
なおこの交差点は高槻市の『自転車まちづくり計画』で整備の対象とされています。現状はみずき通りにのみ矢羽根が表示されたのに留まっています。国の施策としては今年『自転車ガイドライン(※)』の改定があり、くい違いなど変則形状の交差点の整備例が盛り込まれました。広く市民の意見も取り入れて、交差点として一体的な走行空間整備に踏み込んでほしいものです。
図13. 「高槻市自転車まちづくり実行計画」より抜粋
図14. 現在の路面標示
最後に
今回センター街の東口付近を取り上げたのはたかつきこまちと接点のあったある方の働きかけがきっかけでした。「人にやさしい」交通環境づくりを掲げて活動されていたグループで、市や警察と連携しての啓発活動をこのセンター街東口においても行っておられました。そのグループが、メンバーの高齢等から解散することになり、ついては挨拶がてらたかつきこまちの例会を訪ねたとのこと。
数10回に及んだ活動の間には心無い言葉を受けたこともあったそうです。「自転車安全利用の標識を見てもそれに従わないのは市民のモラルが低いから」、「自転車利用者にルールを守らせるのは警察の仕事、市の仕事ではない」、「あんたらは私たち警察の言うとおりに、市民に自転車安全利用をするよう啓発すればよい」… とは啓発対象の市民ではなく、市の幹部職員や警官からの言葉だというのは全く酷いものです。高槻市の長い「自転車安全の日」活動のごく残念な一片に過ぎないと思いたいです。
センター街東口の状況は「モラルの低さ」や「ルール遵守」の如何によって生じているのではないというのが当記事の主張ですがいかがでしょうか。状況を変えるには現状の見方から見直してゆかねばと考えています。ここまで読んでくださって誠にありがとうございました。
(まちとこぐひと)
コメント
コメントを投稿